【おけドラ的】ドラッカーを読み解くひとつの考え方~『ドラッカーとオーケストラの組織論』を読んで~

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『もしドラ』ってご存知でしょうか。

正式タイトルは『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』と、2009年に発売され、累計販売部数が2011年度計算でダブルミリオンを記録したという空前のヒット作です。お堅いビジネス書を生業とする発行元のダイヤモンド社としては創業して以来初の大ヒット作品となりました。

内容は、公立高校の弱小野球部でマネージャーを務める女子高生・川島みなみが、経営学者ピーター・F・ドラッカーの著した組織管理論手引書『マネジメント』を偶然書店で手に取ったことを契機に部の意識改革を進め、甲子園を目指すというストーリーで一見、萌え本やライトノベルを意識したかのような装丁が採り入れられているのが特徴となっています。

そりゃ、もともとのドラッカーの『マネジメント』ってこういう本ですからね

おおよそ、社会人となり企業で働く経験をもってしても難解(実際読んでみると難解と言う訳ではないけれど、示唆に富んでて読むのに疲れる)であり、女子高生が読むような本ではないw。であるがゆえに、女子高生が読んだら、というタイトルとしてかみ砕いて解説してくれるであろうと期待する、世の結論を先に知りたいせっかちなビジネスマンからの需要を掴んだ、という事でしょう。

それぐらいにドラッカーという世界的な経営学者(自身は、生物環境を研究する自然生態学者とは異なり人間によってつくられた人間環境に関心を持つ「社会生態学者」と規定しています)の名前は知られつつも、めんどくさがりの一般的なビジネスマンはドラッカーの著作を片手に、読み飛ばしつつ読んだ気になってしまう位の存在感があります。
それがゆえに孤高の存在であり続けるのです。

となると、なかなか触手が伸びづらいですよね。
そんなお堅い学術書が表紙とタイトルと文調を書き換えるだけでここまで大きくなれるのだから、見事なニーズの発見かと思われます

これって思い切り脱線しますが、英単語やイディオムを「すーっと」アタマに入れるための方策として、2000年代前半に大うけした『萌える英単語」(略して『もえたん』)、及びその派生作品がブームとなりました。

こんな感じですかねぇ。なんちて。

 

ドラッカーとは?

ここで言うドラッカーとは?については以下。

ピーター・F・ドラッカー
Peter F. Drucker
1909年11月19日-2005年11月11日

1909年、オーストリア・ウィーン生まれ。フランクフルト大学卒業後、経済記者、論説委員をつとめる。1933年ナチス・ドイツの不興を買うことを承知の論文を発表して、ロンドンへ移住。マーチャントバンクでアナリストをつとめた後、37年渡米。ニューヨーク大学教授などを経て、71年、ロサンゼルス近郊のクレアモント大学院大学教授に就任、以降この地で執筆と教育、コンサルティング活動を続けた。

ファシズムの起源を分析して、イギリスの後の宰相ウィンストン・チャーチルの絶賛をうけた処女作『「経済人」の終わり』、GMのマネジメントを研究した『企業とは何か』をはじめ、40冊近い膨大な著作群は、「ドラッカー山脈」とも呼ばれる。
ドラッカー教授の専門領域は、政治、行政、経済、経営、歴史、哲学、心理、文学、美術、教育、自己実現など多方面にわたっており、さまざまな分野に多大な影響を及ぼした。

押しも押されぬ知の巨人と言われています。
そんな彼は、ウィーン生まれであったこともあり、20世紀初頭のウィーン、すなわち19世紀的栄光を覚えているウィーンの空気を、音楽を身にまとって育ちます。そして、その音楽から様々な示唆を得ています。

ドラッカーとオーケストラ

企業における、というより集団における規範とは?なぜに自発的に、能動的に動けないのか?どうやったら末端の社員まで生き生きと仕事ができるようになるのか?
そんなことを題材に、そのお手本として例えばオーケストラの組織を例に、或いはその指揮者とオーケストラのあり方から、経営者と企業の在り方を論じたり、そんなことを一例として引き合いに出すケースが多いことに着目して書かれた本がこちら。

著者、山岸淳子さんは東京藝術大学音楽学部楽理科卒業後、財団法人日本フィルハーモニー交響楽団入団。広報宣伝部長、企画制作部長等を経て、現在特命担当。在勤中に慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻(アート・マネジメント分野)修了、という経歴の持ち主。

項建ては以下目次で進めています。

【目次】
第一章 ドラッカーの言葉とオーケストラ
第二章 オーケストラ組織論①――プロフェッショナルとしての演奏家
第三章 オーケストラ組織論②――リーダーとしての指揮者
第四章 ドラッカーの見た都市とオーケストラ
第五章 マネジメント
第六章 「未来の組織モデル」としてのオーケストラ

「理想の組織」であり、かつ「未来の組織」である、と語ったのがオーケストラ。さまざまな楽器を受け持つプロの演奏家集団が、指揮者のもとで高度にマネジメントされた組織になったとき、一人の巨匠演奏家の限界をはるかに超えた音楽を作り出すことができる、として紐解いていきます。
所謂オーケストラ型組織、についての考え方ってやつですね。
ドラッカーによると組織は軍隊型とオーケストラ型の二種類があるとしていて、組織は道具だから目的によってどちらがいいか決まるけれども、情報化社会ではオーケストラ型組織が有効であると主張しています。

情報化社会とは、社会的に大量の情報が生み出され、それを加工・処理・操作するための機構が巨大化し、人々の意思決定や行動に大きな影響を与えるに至った社会、を指しています。それゆえにベストな意思決定を絶え間なくスピーディに行わねばならない、という使命が組織に課されます。

軍隊型の従来の組織では、トップが君臨し、指揮命令の権限に基礎をおく形になります。
情報は上から下に流れるわけですね。

かたや、オーケストラ型組織では責任・役割に基礎をおくので、情報は下から上に、上から下に、そして再び下から上に、と有機的に循環します。

ドラッカーが知識社会の組織モデルとしてオーケストラ型組織のコンセプトを提示して以来、たしかにオーケストラという専門家集団の高度なコミュニケーションと組織力は魅力的に映ります。

出版元のPHPではいかに要約しています。

● 経営管理者は指揮者である
「経営管理者は、部分の総計を超える総体、すなわち投入された資源の総計を超えるものを生み出さなければならない。例えていうならばオーケストラの指揮者である」(『現代の経営』)
● 「情報化組織」としてのオーケストラ
「情報化組織における主役は、専門家であって、トップ経営者でさえ仕事の仕方については口出しができない。指揮者はある楽器の演奏方法が分からなくても、その楽器の奏者の技術と知識を、いかに生かすべきかを知っている」(「情報が組織を変える」)
● 楽譜――明確で共有可能なルール
「一人の指揮者の下で、数百人の音楽家が共に演奏できるのは、全員が同じ楽譜をもっているからである」(「情報が組織を変える」)
● 専門性の獲得と維持
「ピアニストは、何か月も飽きることなく音階を練習する。技能はごくわずか向上するだけである。だがこのわずかな向上が、すでに内なる耳によって聴いている音楽を実現させる」「成果をあげる能力とは、積み重ねによるものである」(『ポスト資本主義社会』)
● 非営利組織(オーケストラ)のミッション
「非営利組織は、政府や企業とは違う何かを行う。(中略)非営利組織が生み出すものは、(中略)変革された人の人生である」(『非営利組織の経営』)
● オーケストラの「顧客の創造」――ニューヨーク・フィルの教育プログラム
「企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される」(『マネジメント』)
● 聴衆もオーケストラの一員
「コミュニケーションは、送り手ではなく受け手からスタートしなければならない」(『マネジメント』)

なるほど。
ドラッカーはこういった組織の自発的な目的意識と、使命感、そして絶え間ない自己啓発の意識がどうやって醸成されるか、これを組織論から説いてみようと試みた、ってわけですね。

読んでいくと、ドラッカーの考え、というよりはオーケストラの歴史、あり方を説明する章構成になっていくので、一冊読み終えるうちにオーケストラのミッションというものが何となくわかる構成にはなっているけれど、ドラッカーが示した方向性をオーケストラの専門家が「音楽を実例に優しく紐解いた」ってかたちの本ではありません。

そしてもうひとつ。
1人の指揮者が全体を統率するオーケストラの在り方は正しいのか?譜面自体に間違いは無く、それを再現することに違和感を持たなくてよい組織は現実的には限定的ではないのか?と言う疑問が生まれる書き方でもあるのかな、と思いました。

この辺りは、実は経営学では既に議論がなされていて、経営環境の激変に伴い不確実性がますます高くなっていく時代に、すでに決まっている譜面とおりに演奏をするオーケストラは、現代企業の組織モデルとしては相応しくない、つまり、既存の慣行と秩序に拘らず、予期せぬ状況に合わせて迅速な行動が要求されるこれからの時代には、オーケストラ型組織ではなく、ジャズの即興演奏のように動く組織がより適切である、という主張があります。

この辺りになってくると、音楽を内部から本質的に知っている人の議論ではなくて、うわべの表面的な特徴から物語っているだけのように、単なる一例として音楽のスタイルを用いて意見を主張しているように思えちゃいますね。

オーケストラの演奏は決められた譜面という一定のルールはあるにせよ、決して奏者のスポンテニアスな表現が許されない訳ではなく、それを瞬時にチームで表現していく、と言ったことが常にあちこちで起きています。この小さな波が大きな波に波及するかもしれない、じゃあやってみよう、っていうトライです。
成功する時もあれば、失敗する時もあります。そしてそのトライを採用して、次へ繋げるか、或いは切り捨てて指揮者の求める姿に合わせるか、そんなことをずーっと考えながら表現を探していく、ってのがオーケストラの演奏の中身ではないのかな?と思うがゆえに、ジャズ型組織がオーケストラ組織論の弱点を補う、と言う考え方にはピンときません。
ま、表面的に論じるなら、それでも良いのかもしれませんけどね。

そんなことを考える良いきっかけになった本として、これはじっくり読んでみる価値があるな、と思いました。

と言うことで、また次回。

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