【隠れた歌モノ弦楽四重奏の最高峰】フェリックス・メンデルスゾーン『弦楽四重奏曲第2番 イ短調 作品13』

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【隠れた歌モノ弦楽四重奏の最高峰】フェリックス・メンデルスゾーン『弦楽四重奏曲第2番 イ短調 作品13』

早熟の天才、メンデルスゾーン。
自由ハンザ都市ハンブルク(Freie und Hansestadt Hamburg)に1809年2月3日に生を受けたメンデルスゾーンは、171年前の今日、1847年11月4日に38歳で亡くなるまでに約900曲の器楽曲、室内楽、管弦楽、交響曲や歌曲など様々なを世に残し、裕福な家庭に生まれ、他の名だたるクラシック作曲家に比べれば比較的幸せな人生を送った、とされる。
まぁ、ユダヤの家系に生まれ、銀行家の父を持ち、文化教養度の高い環境下で育った、ということを鑑みればそういった判断もなされるであろう。

とはいえ、当時ヨーロッパでのユダヤ系に対する差別からなのか、メンデルスゾーンの父、アブラハムは、プロテスタントのルーテル派に改宗している。
父アブラハムはユダヤの伝統に反して、フェリックスに割礼を受けさせず当初宗教色のない教育を施され、1816年にメンデルスゾーンが7歳の時にルーテル教会で洗礼を受けた。この時、メンデルスゾーンにはさらにヤコプ・ルートヴィヒをいう名前が与えられた。さらに一家はユダヤ性である「メンデルスゾーン」ではなく「バルトルディ」を一家の姓とすることになった。これにはユダヤ教からキリスト教に改宗した事を表す意味合いがあったと言われているが、ここまでする背景ってなんだろ、って思うのは必然。

そもそも、メンデルスゾーンと呼ばれているのは通称フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn)からきているのであって、正式にはヤコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy)なんである。やたら長い。
父親からはメンデルスゾーンと名乗らず、バルトルディと名乗るよう命じられたのにもかかわらず、メンデルスゾーン-バルトルディと二重姓を名乗り続けたこと、ルーテル派の洗礼を受けた際に得たヤコプ・ルートヴィヒが付くことが背景である。
これだけ取っても結婚・離婚を通じてしか姓が変わらない日本人には凡そ理解しにくい世界がそこにある。
果たしてそこまでして避けたい迫害・差別とは何か?

平たく、超簡潔に2,500年の歴史を纏めると、
・歴史問題:紀元前より属国にされ続けてきたネガティブな歴史
・宗教問題:イエス・キリストを殺したのはユダヤ人としてキリスト教徒から忌み嫌われてきたこと
・経済問題:宗教上不浄とされた金融業等で長年蓄積された経済優位性、そして優位性を生み出すための算術等の知性

余り書き過ぎると諸説ある中のひとつに偏ってしまう危険性をはらむゆえ、ここまでに止めるが、いくら裕福であっても、いつ脅かされるとも限らない自分たちの人生を守るために、父アブラハムがあらゆる手を尽くして、名を変え、信じるものを変え、子供たちにはありとあらゆる英才教育を施した、と考えれば合点がいく。

とまぁ、カターイ話から入ったけれども、そういう色眼鏡が無くピュアに音楽を評価する日本人が聴くメンデルスゾーンの評価はどうだろう。ヴァイオリン協奏曲ホ短調、真夏の世の夢(結婚行進曲)が有名、とか「軽めの曲を作った幸せな音楽家」「サロン的な音楽家」「才能は有るけれど感動出来ない作曲家」とか、褒めているとも貶しているとも言える立ち位置じゃあなかろうか。
これもまた、ユダヤであることを背景に、彼の死後、ワーグナーをはじめ、約100年、場合によっては今も続く、メンデルスゾーンは凡庸とみなし、作曲家としての地位を貶める動きによるもの、とも言える。哲学者のニーチェもまた、メンデルスゾーンはドイツ音楽における「愛すべき間奏」、つまりベートーヴェンとワーグナーの幕間であるというコメントを残しているし、当然ナチスドイツにも迫害された。その結果、取り扱われる頻度、重要度が落ちちゃった、と。

ところでメンデルスゾーンは弦楽四重奏曲を合計8曲書き残しているが、どれも名曲揃いなるも扱いという点ではレベルは相当低い。

変ホ長調(作品番号無し):1823年
第2番 イ短調 Op.13:1827年
第1番 変ホ長調 Op.12:1829年
第4番 ホ短調 Op.44-2:1837年
第5番 変ホ長調 Op.44-3:1838年
第3番 ニ長調 Op.44-1…1838年
弦楽四重奏(のための4つの小品) Op.81:1843~1847年。
第6番 ヘ短調 Op.80:1847年

『弦楽四重奏曲第2番 イ短調 作品13』

この中で、一番若くして17歳にて書き上げたという弦楽四重奏第2番、この曲は冒頭部分に美しい導入部があり、非常に美しい事もあり、何よりもキャッチーなメロディが全般を支配しており、かつ深い演奏が求められる。
それゆえ、上述の、世間から中身が無いと揶揄するようなメンデルスゾーン像からは凡そ想像もつかない深い音楽がそこにある。ようやくこの辺りから、グダグダと前半書き連ねた歴史と少しづつ絡み始める訳だが、深遠、静謐という雰囲気も持ちつつも、暖かみのある楽曲、メロディであり、いきなり冒頭から心を掴まれてしまうあたりは、メンデルスゾーン自家薬籠と言える。

この曲全体を統一する動機には、メンデルスゾーンが数か月前に作曲していたピアノ伴奏によるバリトンのための歌曲『本当に?』(Ist es wahr?)作品9-1からの引用が行われている。この曲はヨハン・グスタフ・ドロイゾン(Johann Gustav Droyson)の詩に基づくもので「きみがいつも木陰を散策する私を待っているというのは本当か」といった内容である

従前は、いわゆる名だたる弦楽四重奏団の録音は有るっちゃ有ったが何せ店頭にないという時代が続き、あると言えばメロス四重奏団、次いで2000年代に入ってアルバン・ベルク四重奏団が録音を残してから広まったような記憶がある。

①メロス弦楽四重奏団

1965年にヴュルテンベルク室内管弦楽団とシュトゥットガルト室内管弦楽団の首席奏者らによって結成されたドイツの弦楽四重奏団で、結成当初の1966年にジュネーヴ国際音楽コンクールで最高賞を取得。1stVnのヴィルヘルム・メルヒャーの死去により、2005年に解散。現代音楽を演奏しないという点で古臭い、と見られる向きもあったがアンサンブルはしっかり骨太系の弦楽四重奏団で個人的には安心して聴いていられるひとつ。

 

②アルテミス弦楽四重奏団

1989年にドイツのリューベックで結成されたアルテミス四重奏団は、アルバン・ベルク四重奏団の面々や、ラサール弦楽四重奏団のワルター・レヴィンに師事し、エマーソン弦楽四重奏団やジュリアード弦楽四重奏団からも大きな影響を受け、1996年ミュンヘン国際音楽コンクール優勝、翌1997年、プレミオ・パオロ・ボルチアーニ弦楽四重奏国際コンクール優勝という輝かしい実績を残している。
2015年に52歳で亡くなったヴィオラ奏者のフリーデマン・ヴァイグレがまだ参加しているころのアルバム。フリーデマン・ヴァイグレの情熱的なスタイルとの相性が良い。
また、ラトヴィアの女性ヴァイオリニスト、ヴィネタ・サレイカが1st Vnで加入して初めての録音だが、清潔感あふれるフレッシュでステキな演奏になっている。

 

③オーロラ弦楽四重奏団

クラシックのCDコーナーで一角を占めるNAXOSレーベルから発売される謎の演奏家、室内楽団、オーケストラ。。。そんな中にてオーロラ弦楽四重奏団(Aurora String Quartet)はメンデルスゾーンの弦楽四重奏の録音を残している。が、、、これが中々というより一番個人的にはステキな演奏。豊かな鳴りを活かしたアンサンブル、適度なスピード感と躍動感。そして深い陰影のあるトーンが魅力的。でももうあまり売っていないみたい。

というところで、また次回。

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