KREISLER, Fritz / フリッツ・クライスラー ~ 最後の自作自演ヴァイオリニスト

Pocket

フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875年2月2日:ウィーン – 1962年1月29日:ニューヨーク)は、オーストリア出身の世界的ヴァイオリニスト、作曲家である。後にフランスを経てアメリカ国籍となった。ユダヤ系。本名はフリードリヒ・クライスラー(Friedrich Kreisler)。

3歳の頃からヴァイオリンを習い始めたが、あまりにも飲み込みが早く、7歳で特例としてウィーン高等音楽院に入学してヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世に演奏を、アントン・ブルックナーに作曲を学び、10歳にして首席で卒業した。在学中、楽院を訪問したヨーゼフ・ヨアヒムらの大家の演奏を聴き、さらに感性を研ぐこととなった。その後、パリ高等音楽院に入学、12歳にして首席で卒業した。

1899年、アルトゥール・ニキシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演する。この公演はウジェーヌ・イザイに激賞され、成功裏に終わり、クライスラーの演奏活動はこの頃から軌道に乗り始める。1902年にはロンドン・デビューを果たし、成功を収める。

数多くの自作自演用の曲は、世界各国の演奏旅行の合間に訪れた図書館などの資料から、埋もれた作品をそのまま演奏するのみならず、作品の旋律のごく一部を自作に取り入れ、その自作をしばしば「過去の(忘れられた)作曲家の作品を『再発見』した」と称して演奏・出版した。この他、ベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲のカデンツァ、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集のヴァイオリン用編曲など多数。ナチス政権下においては、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏する際に、ユダヤ系のクライスラーのカデンツァを使うことは黙認されていた(例えば戦時中のフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル、エーリッヒ・レーン独奏のライヴ録音ではクライスラーのカデンツァが使われている)が、クライスラーの作であることは当然伏せられた。

1935年頃、『ニューヨーク・タイムズ』の音楽担当記者が「編曲」と銘打っているのに原曲が世に出てこないことを疑問に思い、当時ウィーンに戻っていたクライスラーにそのことを尋ねたところ殆どの曲が自作であることを認めた。そして、事に及んだ理由として「自作ばかりでは聴衆が飽きるし、また自分の名前が冠せられた作品だと他のヴァイオリニストが演奏しにくいゆえ、他人の名前を借りた」と答えたと言われる。

ブルックナーの薫陶を受けたかどうかは別にして、素晴らしい小曲・カデンツァを自ら作曲しているのみならず、優れた演奏技術で一世を風靡した。

 

KREISLER, Fritz / フリッツ・クライスラー ~ 最後の自作自演ヴァイオリニスト” への1件のコメント

  1. […] フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875年‐1962年) ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880年‐1953年) […]

【新しいヴァイオリン教本】第5巻 ~ ベリオ コンチェルト第7番 第2楽章~ | Hyakushiki Violin へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。