【コンマス列伝】パリ管弦楽団の創成期を支えた名手Luben Yordanoff

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フランスが誇る音楽教育の最高峰、パリ国立高等音楽院(Conservatoire national supérieur de musique de Paris, Le Conservatoire de Paris, CNSM de Paris)という音楽院があります。
ここに、かつてパリ音楽院の楽友協会によって運営され、パリ音楽院の教授や卒業生をメンバーとして19世紀から20世紀前半まで、フランス楽壇の中心的位置を占めてきた、パリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)と言うオーケストラが存在していました。このパリ音楽院管弦楽団は1828年にパリに設立され1967年に発展的に解散するまでにフランス音楽のみならずドイツ音楽含めて名演を遺しています。

特に同オケ最後の首席指揮者、アンドレ・クリュイタンス(André Cluytens)とのコンビでは名演、名録音を多数残しましたが、クリュイタンスの逝去とともに、フランス文化省の大臣アンドレ・マルローと音楽局長のマルセル・ランドスキの要請により、シャルル・ミュンシュを首席指揮者に迎えて新たにパリ管弦楽団(Orchestre de Paris)が設立されています。
創設より139年を数えながらもクリュイタンスの逝去により崩壊の危機にあったパリ音楽院管弦楽団をいったん解散させて、フランス全土よりオーディションにより「諸外国にパリおよびフランスの音楽的威信を輝かすこと」を使命とした全仏のオーケストラを作った 訳ですね。そうして今日のパリ管弦楽団(以下パリ管)へと改組されたのですが、この際に団員の3分の2が去っている、という事実もまた一方で存在します。

そんな国家の威信を掛けながらも、実態はパッチワークのような状態であった創成期のパリ管の第1コンサートマスターに就任したのがブルガリア生まれのルーベン・ヨルダノフ(Luben Yordanoff)でした。彼は1967年から1991年の24年間にわたり長きに渡りコンサートマスターを務め、パリ管の顔として数々の録音にもソロとして携わっています。

そんな創成期のパリ管にあって、長い指揮棒を風車のように振り回す情熱的な指揮ぶり、爆発的な熱気あふれる音楽表現で人気を博していたシャルル・ミュンシュと残したレコード4枚の録音はどれをとっても名演、その中でも『ブラームス交響曲第1番』と『ベルリオーズ幻想交響曲』は録音から50年たった今においても世界最高と言われるほどの出来となっており、名演を超えた爆演などと言われています。

このブラームスの交響曲第1番は、爆演の名にふさわしい、猛烈におどろおどろしいオーラをまといながら聴き手に迫る演奏を繰り広げています。
批評家が「これは名演だ!」というのはアンサンブルが精緻であり、録音状況が良好であり、そして作曲家の精神性を深く表している、と言ったあたりを指すことが多いかと思います。そういった観点で言えば名演は星の数ほどあるかと思いますが、録音当時の奏者の思い、感情までが伝わってくるほどの演奏と言うのは極めて限られます。
そういった意味では、その当時の創成期のオケであるが故の特別な時期であった、という特殊条件が存分に活かされたと言う事なのかもしれません。

その「名演」の中にあって、第2楽章にコンサートマスターによるヴァイオリンソロが彩を添えるのですが、ルーベン・ヨルダノフのヴァイオリンソロは数ある様々なオーケストラのブラームスの交響曲第1番においても唯一無二の美しさを誇ります。
豊かで流麗な音色とたっぷりとした歌い回しが存分に活かされており、第2楽章の中盤からラストに至るまで、ルーベンのソロが作り出す雰囲気が全体を支配します。

これはもう完全に買いである、としか言いようがありません。

と言うことで、また次回。

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